AI時代の作家性は、何を選び、何を直すかに表れる
AIに文章を任せても、何を残し、どこを直し、何を中心に置くかという判断に作家性は表れるのか。実際の記事制作から考える。
別のところでAIにブログの設計を任せている間に、こちらではAIと話しながら記事を作っていた。そうして、1時間で3本の記事ができた。
私が話し、AIが文章にまとめる。それを読んで、「そこはちょっと違う」「この話をもっと中心に置いてほしい」と伝える。そうやって直していくと、記事になっていく。
その途中で、こんなことを言った。
「君が出力してくれたやつの方向性を修正するのは、俺の役目なんだね」
文章を書く作業のかなりの部分をAIに任せても、自分の仕事は残っていた。ただ、その仕事は、一文ずつ自分で書くこととは少し違っていた。
整っていることと、自分の言いたいことは違う
AIが出してくれる文章は、読みやすい。話の順番も整理されていて、それだけを読めば、まとまった記事に見える。
でも、自分が言いたかったことと少し違うことがある。
最初に作った、コンテキストについての記事がそうだった。
私が驚いたのは、好みに合う案が出たことだけではなく、自分が次に言おうと思っていた案を、先にAIから提案されたことだった。
そのタイミングが薄くなると、「背景を伝えると、よい提案が返ってくる」という一般的な記事になってしまう。
私が直したかったのは、文章の上手さよりも、この記事で何を一番伝えたいのかという部分だった。
主題を少し動かすだけで、別の記事になる
ゲームの未来についての記事でも、同じことが起きた。
創作を持ち寄って遊ぶ仕組みは、すでにマインクラフトなどにある。そこを新しい発想のように書くと、自分の主題からずれる。
私が考えたかったのは、AIによって、ブロックを組む手軽さの先に、より複雑な創作を持ち込めるのではないか、ということだった。
同じ素材でも、どこを中心に置くかで違う記事になる。AIとの執筆で私が繰り返していたのは、その中心を合わせる作業だった。
何を残し、何を直すかに、自分が出る
修正していたのは、主題だけではない。
自分の意見に独自性があると思う部分は、薄めずに残してほしかった。一方で、すでに存在する事例は載せてほしかった。自分が新しく思いついたように書くより、どこまでは実現していて、その先に何を考えているのかを分けたかった。
小説の内容を使うときは、記事に必要な話を残しつつ、ネタバレになるところは削った。
対話の抜粋でも、短くしすぎてAIの提案や反論が分からなくなれば、もう少し残してほしいと伝えた。一般的に知られている話を自分の考察のように扱っていたところは、その区別を直した。
こうして並べると、私は単に「気に入った文章を選んでいた」だけではない。
何を大事にするか。何は省いてよいか。どこは正確に扱いたいか。読者に何を持ち帰ってほしいか。
そうした判断が、記事のあちこちに入っていた。
自分で打ち込んだ文字が少なくても、完成した文章の方向を決める場面は何度もあった。少なくとも今回の制作では、そこに自分の考え方や好みが表れていたと思う。
選びさえすれば、作家性になるのか
ただ、ここで「AIの出力を人間が選べば、それが作家性だ」と言い切るのも、少し簡単すぎる気がする。
候補を見て、なんとなく一つ選ぶこともある。その選択にも好みは出るだろう。でも、それだけで作品全体に自分の意図が通るとは限らない。
今回、記事を直していて感じたのは、一回の選択よりも、判断を積み重ねることの大きさだった。
この説明は読みやすいけれど、主題がずれている。この反論は自分に都合が悪くても、残した方がよい。この具体例を削ると、なぜそう思ったのかが伝わらなくなる。
そうやって何度か手を入れるうちに、記事全体が自分の話に近づいていく。
「何を選ぶか」には、その場で気に入るものを選ぶことだけでなく、作品全体を見ながら、残すものと直すものを決めることも含まれている。
私が今回感じた作家性は、そうした判断のつながりにある。
その判断まで、AIに伝わったらどうなるのか
ただし、私は「方向性を修正するのは俺の役目なんだね」と言った後に、もう一つ付け加えている。
「でもそれも、どんどんコンテキストを読み込んだらできるようになるって信じてる」
今は私が指摘しないと伝わらないことでも、やり取りを重ねれば、最初から汲んでもらえるようになるのではないか。
どんな話を中心に置きたがるのか。どういう説明だと違和感を持つのか。どの具体例を大切にするのか。そうしたことが共有されれば、修正の回数は減るかもしれない。
それは、私にとって望ましいことだ。
自分の意図を伝えるために、毎回同じ修正をする必要はない。これまでの対話を踏まえて、最初から自分の言いたいことに近い文章が出てくるなら、その方が助かる。
そのとき、最後に直す箇所が少なくなったからといって、作品から自分の考えが消えたとは限らない。以前の対話や判断が、すでに文章に反映されている可能性がある。
だから、人間は判断し、AIは文章を作る、という役割も、ずっと固定されたままとは思っていない。
何文字書いたかだけでは見えないもの
今回のブログで、文章を実際に組み立てたのはAIだ。
でも、何を書くか、何が違うか、どこを残したいかを話しているうちに、記事は変わっていった。最初の案をそのまま使っていたら、今とは違う内容になっていたはずだ。
この経験から、AI時代の作家性を考えるなら、自分で何文字書いたかに加えて、どんな判断が作品の形を決めたのかも見たいと思う。
そして、その判断は最終稿を直した瞬間だけにあるわけではない。構想を話した時間にも、以前の案を却下した理由にも、繰り返し伝えた好みにもある。
AIがこちらを理解するようになるほど、そうした過程は完成した文章から見えにくくなるかもしれない。
だから、このブログでは、記事だけでなく、そこにつながった対話も少し残している。
どんな入力から、どんな案が出て、私は何を直したのか。それを見れば、文章が整うまでの過程だけでなく、私が何にこだわっていたのかも伝わると思う。
この記事につながった対話
以下は、ブログ制作中の対話を整理した抜粋です。音声入力の言い直しや重複を省き、読みやすく表現を調整しています。逐語引用ではありません。
私:コンテキストの記事で、驚きの中心を伝え直した場面
AIに言われる前に、そのエルフの子は祖母の遺品を身につけているっていう設定を入れようと思ってたんだよ。
「何か遺品を身につけている形にしたいんだけど、ブローチとかどうだろうか」って言おうと思っていた。その前段階で、次に言おうと思ったことを先に言われたから驚いたんだよね。そこは入れた方がいいね。
私:ゲームの記事で、既存の仕組みと主題を分けた場面
現時点でもマインクラフトが先駆者として、創作をみんなで持ち寄る形を実装している。それを前提条件として、もっと分かりやすく文章に組み込んだ方がいい。
その上で、別にブロックである必要はないんだよねっていうのが、これの主題なわけだよ。
私:記事が完成したときの実感
結構やっぱり早いね、こうやってやると。でも、君が出力してくれたやつの方向性を修正するのは俺の役目なんだね。
でもそれも、どんどんコンテキストを読み込んだらできるようになるって信じてるからね。
第1稿への修正について
この記事の構成と文章は、それまでの対話と3本の記事制作の経緯を踏まえてAIが作成した。私がその初稿を読んで指示した本文の修正は、冒頭に「AIにブログの設計を任せている間に、1時間で3本の記事ができた」という具体的な時間と状況を加えることだけだった。第1稿の完成時点では、それ以外の本文と対話の抜粋を、初稿のまま採用した。この注記は、その時点の修正範囲を残すためのものだ。
第2稿では、Claudeのレビューを受けて、他の記事と重なる説明を短縮し、参照リンクを加えた。最初の制作時の修正が時間情報だけだったという記録は、そのまま残している。
記事の改訂履歴
- 初版公開
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