NOTE 004 / 創作

作品の「コンテキスト容量」――メディアの違いが、AI時代の創作をどう変えるか

創作

作品の内側に背景や関係性を積み重ねられる余地から、メディアごとに異なるAI時代の創作への影響を考える。

AIによって創作がどう変わるのか。

この話をするとき、絵も小説も漫画も、まとめて「創作」として扱われることが多い。でも、私はそれぞれで影響の受け方が違うと思っている。

その違いを考えるうえで気になっているのが、一つの作品に、どれだけコンテキストを込められるかということだ。

登場人物が何を経験してきたのか。ある行動にどんな理由があるのか。以前の場面が、後の展開によってどう違って見えるのか。こうした背景や関係性、意味の積み重なりを、作品の中にどれだけ織り込めるか。

この記事では、作品の内側に背景や関係性を積み重ねられる余地を「コンテキスト容量」と呼んでみたい。厳密な数値ではなく、メディアごとの違いを考えるための仮の名前だ。作品の外にある背景や、受け手が実際に読み取る量は、この容量と関係するが、別の論点として考える。

私たちは、有名な絵の何を見ているのか

絵画は、画面に描かれたものだけで鑑賞されるわけではない。

どんな時代に描かれたのか。その時代には何が新しかったのか。作者はどんな人生を送り、どんな状況で制作したのか。そうした背景から作品を理解するのは、美術史の基本的な方法の一つだ。美術史的分析の解説

商品としての評価にも、作品の外にある情報が関わる。作者や制作年代、誰が所有してきたかという来歴は、金銭的な価値にも影響する。Gettyの来歴研究についての解説

また、今では有名な作品でも、発表当時から現在と同じ評価を得ていたとは限らない。

たとえばゴッホの場合、死後に作品を広く紹介する活動が進む一方で、書簡の公開を通じて、その人生や考え方も知られるようになった。生前にも好意的な批評はあったので、「誰にも認められなかった」という話ではない。それでも、作品が受け入れられていく過程と、作家についての理解が広まる過程は結びついていた。ゴッホ美術館の研究紀要

このように、作品の外にあるコンテキストも鑑賞や評価を支えている。

私がそこから考えたいのは、そのコンテキストを作品の内側にどれだけ持たせられるかが、メディアによって違うのではないか、ということだ。

コンテキストを、作品のどこに置けるか

ここで、一枚絵と小説を比べてみたい。

一枚絵にも、構図、表情、色、背景、象徴などを通じて、さまざまな意味を込められる。ただ、その人物がなぜその表情をしているのか、そこに至るまで何があったのかを、見る人に具体的に共有するには工夫がいる。作者の人生や制作の経緯なら、作品の外にある説明が必要になることも多い。

小説では、その背景を作品の中で順番に積み重ねられる。

最初は冷たい人物に見えたのに、過去を知ることで同じ行動の意味が変わる。何気ない会話が、後になって重要だったと分かる。ただの小道具に見えたものが、登場人物の関係を象徴するものになる。

読者は読み進める間に、その作品を理解するためのコンテキストを受け取っている。

私は、こうした積み重ねを作品の中に持たせられる余地が、一枚絵と小説では大きく違うと思っている。漫画や映像、ゲームにも、それぞれの方法で時間をかけて意味を積み上げる構造がある。

これが、私の言う「コンテキスト容量」の違いだ。

もちろん、小説にも作者の人生や時代背景は関わる。それでも、作者が何者かを知らないまま、作品を読むことによって多くの背景を受け取り、「この作品が好きだ」と思うところまで進める。その構造に注目している。

「絵にも情報は込められる」という反論

この話をAIにしたところ、反論が返ってきた。

一枚絵は情報量が少ないのではなく、情報が凝縮されていて、受け手がそこから物語を読み取るメディアではないか。短い時間で鑑賞されるからといって、価値が低いわけでもない。

これは、その通りだと思う。

一枚の絵から多くのことを感じ取り、長い時間をかけて鑑賞する人もいる。たった一度見ただけで忘れられなくなる絵もある。

ただ、私が気にしているのは、どこまで読み取れるかという可能性と、多くの人が実際にどこまで読み取るかの違いだ。

SNSで流れてくる絵を見て、「綺麗だな」「いいね」と思い、そのまま次へ進む。そういう見方は珍しくないと思う。そこから作者を調べ、制作の背景を知り、作家性まで理解する人がどれだけいるのか。

作品に込めたコンテキストが豊かでも、受け手がそこまで届かなければ、その豊かさが選ばれる理由になるとは限らない。

この点が、一枚絵を仕事にする人にとって厳しくなるのではないか、と私は考えている。

綺麗な作品が増えたとき、何が選ばれる理由になるのか

AIによって、ぱっと見て綺麗だと思える絵がさらに大量に生まれるとしたら、どうなるだろう。

人間が考え抜いて描いた絵にも、生成された絵にも、見る側が同じように「綺麗だね」と感じて通り過ぎる。その場で違いを受け取ってもらえなければ、制作に込めたものだけで選ばれるのは難しくなる。

「この人が描いたから欲しい」という関係は、もちろんある。制作過程を見て応援したくなることも、好きな作者の原画を持ちたくなることもある。

ただ、その関係が生まれる前に、まず作品を見てもらう必要がある。

作品を見て、気に入って、作者に興味を持つ。この順番を考えると、まだ作者を知らない人に、作品だけでどこまで固有の魅力を伝えられるかは大きい。

小説なら、人物の選択や関係性、伏線の積み重ねを通じて、読み進めるほど違いを感じてもらえる余地がある。私はそこに、作り手の考えや感性を反映できる幅があると思っている。

これは、人間が書けば必ず違いが生まれるという意味ではない。何を積み重ね、どこで意味を変え、読者にどう受け取ってほしいのか。その判断を作品の中で重ねられることが、差を生む余地になるということだ。

だから、AIの影響を考えるときにも、作品の見た目や一部分の完成度だけではなく、コンテキスト容量という観点が必要なのではないか。

容量があっても、受け取ってもらわなければ始まらない

とはいえ、小説なら安心だという話でもない。

小説には、まず読み始めてもらう難しさがある。長い作品に豊かなコンテキストを込めても、途中で読むのをやめられれば、その先にあるものは届かない。長ければ、それだけで豊かな作品になるわけでもない。

一枚絵には、一瞬で人を引きつけられる強さがある。連作を一つの作品として見れば、その内側には一枚を超えた文脈も育っていく。一枚同士を比べるのか、連作と長編を比べるのかで、比較する単位も変わる。

そして、AIを使うかどうかと、コンテキストを込められるかどうかも、別の問題だ。人間が考え、選び、修正しながらAIで作る作品にも、その人のコンテキストは反映できるはずだ。

私が考えたいのは、メディアごとに、背景や意味をどれだけ作品の中に持たせられるか。そして、それを受け手にどこまで届けられるか、ということだ。

AIで整ったものを作りやすくなるほど、なぜこの作品なのかを感じてもらうことが重要になる。その理由を、作品の内側に積み上げるのか、作者や制作過程といった外側にも広げるのか。

「コンテキスト容量」は、その違いからAI時代の創作を考えてみるための言葉である。


この記事につながった対話

以下は、執筆のもとになった対話を整理した抜粋です。私の発言は、音声入力の言い直しや重複を省き、掲載にあたって本人の意向で一部の表現やニュアンスを調整しています。逐語引用ではありません。AIの返答も必要な部分を抜粋しています。

私:絵の外にある背景について

これは一般的な話だと思うんだけど、歴史的背景だったり作家の人生だったり、そういったものも踏まえて絵を鑑賞するよね。絵そのものに加えて、そういう背景も文化的な価値や、商品としての価値に関わっているんだと思う。

私:一枚絵と小説の違いについて

絵は作品に込められるコンテキストが少なくて、作品外に込めるコンテキストの方が多くなる。そっちの方がメインになってしまうっていう話なんだよ。

小説だったら作品の情報量がすごいじゃん。だからそこに作者がものすごくコンテキストを込めるっていうことが、構造上可能なんだけど、絵っていうのはちょっとそれが難しい。

基本的に人間が作品を評価するときに、まずこの作品を作った人物が云々っていうふうになる前に、まず作品がいいかどうか、そこありきになるんだよ。

AI:それに対する反論

一番大きい反論は、一枚絵は「情報量が少ない」のではなく、「情報密度が高く、受け手側が圧縮展開する媒体」だという考え方です。小説は作者が大量の情報を明示的に詰め込むけど、絵は構図、視線、色、服装、背景、象徴、ポーズ、光、キャラ同士の距離だけで、見る側が勝手に物語を補完できる。つまり文字数換算では少なく見えても、1枚から受け手が膨らませる余地は大きい。

次に、鑑賞時間が短い=価値が低い、とは限らない

私が重視していた、実際の見られ方

一枚を見たときにかける鑑賞時間っていうのは、そんなに長く持たないと思うんだよね。普通に考えて。「いいね。はい次」っていうね。

今はそのぱっと見の印象がいい絵はいくらでもあるから、そこで差別化を図るのはとても難しいよね。

反論を受けて何を言い直したかは、「AIに反論を頼む。でも、正論だけで好みは決めない」(準備中)に残している。容量の違いに加え、それが実際に受け取られるかも考えていきたい。

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