AIに反論を頼む。でも、正論だけで好みは決めない
AIの反論を受け入れることと、自分の好みまで手放すことは違う。反論を、自分の判断を言葉にするために使う。
AIに自分の考えを話すと、整理された文章が返ってくる。
自分ではうまく言葉にできていなかった部分までまとめてもらえると、なるほど、俺が言いたかったのはこういうことか、と思う。
ただ、きれいに整理されると、それだけで自分の考えが正しそうに見えてくる。
だから、ときどき聞いてみる。
「反論ある?」
今回、メディアによってAIの影響は違うのではないか、という話をしていたときも、そう聞いた。返ってきた反論を読んで感じたのは、反論を求めることは、自分の意見を引っ込めるためだけのものではない、ということだった。
むしろ、自分が何を問題にしていたのかが、前よりはっきりすることがある。
その反論は分かる。でも、気になっているのはそこだろうか
題材になったのは、「コンテキスト容量」の記事で扱った、一枚絵と小説の違いだ。ここでは結論そのものより、反論を受けて説明を直した過程を残したい。
私の「一枚絵は情報量が少ない」という説明に、AIは、情報が凝縮されていて受け手が読み解くメディアではないか、と反論した。
それには納得した。ただ、私が気にしていたのは、読むことが可能かではなく、多くの人が実際にそこまで見るか、ということだった。
反論を読んだことで、この二つを分けて説明する必要があると分かった。
反論を受け入れることと、全部引っ込めることは違う
最初の私の説明にも、粗いところはあったと思う。
「一枚絵は情報量が少ない」とだけ言えば、絵には多くの意味を込められない、と受け取られてもおかしくない。そこに反論が来るのは自然だ。
だから、その言い方は考え直した方がいい。
一方で、作品に込められることと、受け手に届くことの間に距離がある、という問題まで消えるわけではない。
AIの反論に納得した部分を取り入れたうえで、自分が気にしている点を説明し直す。そうすると、最初よりも論点がはっきりする。
反論を求めてよかったと思うのは、こういうときだ。
ただし、「俺が言いたかったのは別のことだ」と言えば、いつでも反論をかわしてよいわけでもない。もとの主張を言い換えた結果、範囲が狭くなったなら、その分は認める必要がある。
今回の話でも、一枚絵全般の性質と、SNSで流れてくる絵の見られ方は同じではない。さらに、「多くの人がどこまで見るか」について、私は調査結果を持って話していたわけではない。
だから、そこは自分の観察や予想として残る。
反論を聞くことで、何が確かで、どこからが自分の見立てなのかも整理できる。
話した言葉が、そのまま意図を表しているとは限らない
ブログを作っている途中で、発言の言い回しを直した場面があった。
絵画の評価には、作品そのものだけでなく、作者の人生や歴史的な背景も関わっている。その話をしたとき、私は「俺の考察」という言葉を使っていた。
ただ、記事になった文章を読み直すと、そこに違和感があった。
これは、自分独自の考察として言いたかったことだろうか。一般的に知られている話を、そう呼んでしまっているだけではないか。
私は普段、AIと音声でやり取りしている。頭の中で文章を完成させ、言葉の定義を一つずつ確かめてから話しているわけではない。考えながら話すので、言い直しもあれば、その場で選んだ言葉が少しずれることもある。音声の文字起こしで誤差が出る場合もある。
今回の「俺の考察」は、文字起こしが間違えたという話ではない。実際にそう言っていた。ただ、見直した私は、この内容には「一般的な話だと思うんだけど」という表現の方が合っていると判断した。
そこで、AIにも確認したうえで、掲載する文章を直すように伝えた。
発言の記録として正確であることと、自分が伝えたい意味を正確に表していることは、必ずしも同じではない。
だから、対話を記事にするときは、話した言葉を確認するだけでなく、文章になったものを読んで「これで自分の意図が伝わるか」も確かめたい。表現を調整した対話は、その旨を明記して載せる。
この確認も、AIと文章を作る中で私がしている判断の一つだ。
理屈が通っていても、好きになるとは限らない
創作では、どういう展開にしたいか、何を面白いと思うか、どんな余韻を残したいかを決める場面がある。
そこには、説明できる理由もあれば、まだうまく言葉にできない好みもある。
たとえば、「この展開の方が分かりやすい」と言われたとする。それは正しいかもしれない。でも、自分が残したかったのが、すぐには意味の分からない場面だったらどうだろう。後の展開を読んだときに、前の描写の意味が変わる。その感覚を作りたいのなら、最初からすべてを分かりやすくすることが目的に合うとは限らない。
ここで必要なのは、提案の理屈が通っているかに加えて、自分が何を作りたいのかを確かめることだと思う。
AIの提案に納得できる説明がついていても、それだけで採用する必要はない。
もちろん、「自分の好みだから」で何でも押し通せば、読者に伝わらないものになる可能性もある。分かりにくさを残したいのか、単に説明が足りていないのかは、考えた方がいい。
そのために意見を聞く。でも、意見を聞いた最後に何を選ぶかまで、相手に決めてもらう必要はない。
自分の判断を、言葉にするために使う
AIに反論を頼むと、こちらが曖昧にしていたところに説明を求められる。
なぜその反論には納得するのに、元の疑問は残るのか。なぜその提案は合理的に見えるのに、採用したくないのか。
それを話しているうちに、自分の中でも整理されていく。
今回なら、「絵から読み取れる情報」と「実際の見られ方」を分けて考えたかった。創作なら、分かりやすさよりも、後から意味が変わる面白さを残したい場面がある。
最初から全部を説明できていたわけではない。返ってきた言葉に違和感を持ち、その理由を話すことで、分かることもある。
だから私は、AIに賛成してもらうだけでなく、反論も聞いてみたい。
間違っているところは直したい。自分の見立てが弱いところも知りたい。そのうえで、何を気にしていて、何を面白いと思っているのかは、自分でも確かめておきたい。
AIとの対話は、その判断を言葉にするためにも使える。
この記事につながった対話
以下は、執筆のもとになった対話を整理した抜粋です。音声入力の言い直しや重複を省き、一部の表現を読みやすく調整しています。逐語引用ではありません。
私:考えを整理してもらった後で
その考え方で俺の意見は合ってます。一応、反論とかを聞いてみようと思う。反論ある?
AI:一枚絵についての反論(要約)
一枚絵は情報量が少ないのではなく、情報が凝縮され、受け手が読み解くメディアではないでしょうか。
私:作者の背景まで見てもらう難しさについて
作者のコンテキストがどうとかって、そっちまでたどり着くのは相当な物好きだって。大衆受けしなきゃお金は生まれないよっていうのが俺の考え。
私:音声で使った言葉を、掲載前に見直した場面
これって考察なのかな。一般論だと思ってたんだけど。一般論じゃなければ考察でいいんだけどさ。そこら辺どうなんだろう。
私:その修正の意図を説明した場面
音声でやり取りしているから、言葉の一つ一つの定義がぶれるときがある。そもそもAIに話すとき、頭の中で正確な言葉遣いまでまとめて話しているわけじゃない。
実際には「俺の考察」と言っていたけれど、見直したときに「これは考察ではないでしょ」と自分で判断したから、直すように指示したんだよ。
反論を聞くことも、自分の発言を読み直すことも、考えを全部捨てるためにしているわけではない。根拠を確かめること、言葉を意図に合わせて直すこと、それでも考え続けたいことを、分けておくためにしている。
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