「感情原本」を残そう――AIに好みを教えていたら、私にない解釈が返ってきた
小説作りのために感想を語っていたら、自分になかった解釈が返ってきた。感想とAIとの対話を「感情原本」として残す理由。
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小説をAIと作るために、私はいろいろな作品の感想を話していた。
どんな展開に興奮したのか。どの場面で泣いたのか。設定の矛盾が気になるのに、それでも好きなのはなぜか。
自分の思考や好みを理解してもらうには、そういう具体的な反応を渡すのがよさそうだと思ったからだ。
ところが、続けているうちに、予想していなかったことが起きた。
私が何を好きなのかを説明していたはずなのに、AIから、私自身が考えたことのなかった解釈が返ってきた。
その経験から、私は感想と、それをめぐる対話の記録を、**「感情原本」**として手元に残しておきたいと考えるようになった。
※以下は『Angel Beats!』の最終回を含む内容に触れます。
AIは、平均的な答えを返すものだと思っていた
当時の私は、AIの回答を、世の中にすでにある知識や考えを統合して出してくるものとして捉えていた。だから、何も背景を渡さなければ、無難で平均的な回答になりやすいのだろうと思っていた。
そこで必要なのが、自分との対話なのだと考えた。何が好きで、何に違和感を覚え、どんな展開に心を動かされるのかを伝える。そうして、回答の方向を自分に合う方へ調整していく。
私の中では、いわば「ベクトルを調整する」ようなイメージだった。これは技術的な仕組みの説明ではなく、当時の私がAIの使い方をどう理解していたか、という話だ。
すでにある考えの中から、自分に合うものをうまく返してもらう。そのために、私自身を知ってもらおうとしていた。
自分の好みを、説明だけで伝えられるのか
「どんな小説を作りたいですか」と聞かれても、自分の好みを最初から全部説明するのは難しい。
伏線が好き。キャラクターを大事にしたい。感動する話にしたい。
そう答えることはできる。でも、その言葉だけでは、私がどんな伏線を好み、何をもってキャラクターが大事にされていると感じるのかまでは伝わらない。
そこで、実際に見た作品について話すことにした。
感想を整理し始めたとき、AIも、好き、嫌いだけでなく、なぜ感情が動いたのか、どんな創作構造に反応したのかまで蓄積しよう、という趣旨で応じていた。
私が渡したかったのは、作品の点数表ではない。
理屈では不自然だと思う。でも、この場面は好きだ。評判のよい部分にはあまり反応しなかったけれど、別の細かい描写は今でも覚えている。
そういう、簡単には一つの評価にまとまらない反応こそ、自分の創作を考える材料になると思った。
『Angel Beats!』の最後を、私はこう見ていた
私は『Angel Beats!』がかなり好きだ。
人物をもっと掘り下げてほしかったし、終盤の設定や展開には粗さも感じる。それでも、ギャグや音楽、個々の場面の感情の動きが強く記憶に残っている。
特に好きなのが、最後の音無の行動だった。
それまで音無は、仲間たちが自分の人生を受け入れ、前へ進む手助けをしてきた。ところが最後に奏と二人になると、一緒に残り、これから来る人たちを助けようと持ちかける。
私はそこを、奏と別れたくなくなったのだと受け取っていた。
他人には前へ進めと言えても、自分の大切な相手を送り出すとなれば、同じようにはできない。理屈では分かっていても、感情が追いつかない。
私は、その矛盾をむしろ評価していた。
主人公が、作品のテーマを正しく説明するためだけの存在になっていない。自分が人に伝えてきた考えを、最後には自分自身が試される。そこが好きだった。
その感想を話したあと、私はAIに頼んだ。
「俺の感想を批評して、別の視点を出してみて。」
「救う側」からの卒業、という読み
AIは私の読みを整理しつつ、違う角度を出してきた。
音無は、生前から死後まで、人を助ける側へ回っている。妹を失ったあとに医療の道を目指し、事故の中でも人を助けようとし、死後の世界でも仲間を送り出す。
そこから、こう読めるのではないかという。
音無は、他人を救うことで、自分の存在意義を作ってきた人物でもある。
だとすると、最後に二人で残り、これから来る人を助けようとする提案は、奏と別れたくない気持ちだけではない。
再び「救う側」の役割を引き受けることで、自分がここに残る理由を作ろうとしている、とも読める。
つまり、音無にとって最後に必要だったのは、死後の世界からの卒業だけでなく、誰かを救い続ける役割に、自分を縛ることからの卒業だったのではないか。
私は、その視点を持っていなかった。
以前にも最終回の感想や解釈を調べたことはあった。でも、この形の読みには出会った記憶がなかった。
好きな作品の、何度も考えた場面が、もう一段違って見えた。
それは、どこかで拾ってきた解釈なのか
もしかすると、私が知らなかっただけの有名な解釈なのではないか。
私はAIに聞いた。
「それは君が考えたの? それとも、どこかから引っ張ってきたの?」
AIは、私の感想を材料に、その場で組み立てた解釈であり、その回答時点では検索していないと説明した。
そこで、似た解釈がネット上にあるかも調べてもらった。
当時のAIの調査報告では、音無を救済者として捉える読みや、近い英語圏の分析は見つかった。一方で、「音無自身が救済者という役割から卒業する必要があった」という形にまとめた読みは、調べた範囲では見つかりにくかったという。
ここで、「世界で初めての解釈が生まれた」と言いたいわけではない。検索で見つからないことは、誰も考えていない証拠にはならない。また、その場で検索していなかったとしても、AIが学習した情報に似た読みが含まれていた可能性までは否定できない。
それでも、私にとっての驚きは変わらなかった。
AIは既存の考えを平均的にまとめ、対話によってそれを自分向けに調整してくれるもの。そのイメージが、少し崩れた。
私の好みに合う答えが返ってきた、というだけではない。自分にはなかった、しかも広く知られた定番とも確認できない読みが、納得できる形で返ってきたのだ。
感想を渡すことでできるのは、回答を自分の考えに近づけることだけではないのかもしれない。自分の考えを足場にして、その先へ進むこともできるのではないか。そう感じた出来事だった。
感情原本は、自分を固定するためだけのものではない
ここでいう「感情原本」は、私が作品に触れて何を感じ、なぜそう思ったのかを残した記録と、それをめぐるAIとの対話のことだ。
整った評論になる前の感想。好きなのに不満があるという矛盾。説明している途中での言い直し。AIに別の見方を示されたとき、受け入れた部分と、違うと思った部分。
そうした情報を、短い「私の好み一覧」にまとめる前の形でも残しておく。
たとえば、私を「物語の整合性を重視する人」とだけ記録したら、音無の矛盾を好ましく感じたことは見落とされるかもしれない。
「感動する話が好きな人」だけでも、どんな感動なら納得し、どんな運び方なら作為的だと感じるのかは分からない。
今回の経験で、こうした記録には、自分らしい提案をしてもらう以外の使い道もあると感じた。
自分の見方を十分に渡したうえで、その外側から読み返してもらう。自分が語った感想を、作品の別の場面と結び直してもらう。
感想を積み重ねたことが、今回の解釈にどれだけ影響したかを切り分けたわけではない。それでも、自分の思考を理解してもらうための記録が、自分の思考を広げる材料にもなるのではないか、という期待が生まれた。
AIが変わっても、原本は自分の手元に残したい
今、私はChatGPTを使っている。
でも、これからも同じAIだけを使い続けるとは限らない。別のAIを試したくなるかもしれないし、創作の相談相手を複数持ちたくなるかもしれない。
そのとき、自分の感想や対話の経緯が、今使っているサービスの中にしかなかったら、同じ説明を最初からやり直すことになる。
だから、感情原本は、自分のデータとして手元にも持っておきたい。
残したいのは、主に次のものだ。
- 自分が最初に話した感想。
- AIが示した批評や別の視点。
- それを受けて、自分が何に納得し、何を訂正したか。
自分の発言とAIの解釈は、分けておく。AIが「あなたはこういう人だ」とまとめた結果だけを、感情原本の代わりにしないためだ。
要約は、読み返したり、新しいAIに概要を渡したりするのに便利だと思う。ただ、その要約を作り直せるように、元のやり取りも残しておきたい。
同じデータを渡せば、別のAIでも同じ理解や解釈が再現される、という保証はない。それでも、自分が何に心を動かしてきたかを、改めて伝える材料にはなる。
小説を作るために、自分の好みを話していた。
そのつもりが、自分では思いつかなかった読みを受け取ることになった。
だから私は、完成した記事や設定だけでなく、そこへ至る感想も保存しておきたい。次にどのAIと話すとしても、思考を広げる出発点を、自分の手元に持っておくために。
この考えにつながった対話
以下は「創作感想整理」の対話の一部を、記事用に抜粋・整理したものです。感情原本として残したいのは、要約前の元のやり取りであり、ここに載せる整理版とは区別します。私の感想、AIの批評・解釈、解釈の出所を尋ねたやり取りを分けて掲載します。作品の公式解説ではなく、当時の私とAIによる読みです。
私の『Angel Beats!』の感想――整理した要約
私はこの作品がかなり好きだ。ただし、終盤の世界設定には粗さを感じるし、仲間を一人ずつ知って送り出す過程を、もっと見たかった。
好きなのは、辛い過去を消して救うのではなく、それも自分の人生だったと受け入れて前へ進むところだ。
岩沢には音楽があった。直井は他人の代わりとして生きていても、苦しみ、努力していたのは本人だった。ゆりの過去も、幸せな記憶で上書きしてしまってよいものではない。そういう部分に惹かれた。
ただ、直井の過去を視聴者は知っていても、音無本人がそれを詳しく知る場面は、私の記憶にはなかった。そこで核心を突く言葉が出てくることには、作劇上の引っかかりもあった。
ユイと日向の場面も好きだ。日向がそこで出てくることには少し唐突さを感じたけれど、「自分にも愛される未来があったかもしれない」と受け取れる感情の運びがよかった。
そして、重い話ばかりではなく、くだらない作戦やギャグがたくさんある。皆が楽しそうにしているからこそ見続けられる。その振れ幅や音楽も好きだった。
最後に、音無は奏と別れたくなくなったのだと思う。それまで他人に伝えてきたことを、自分では貫けなくなる。私はそこを欠点として切り捨てるより、「結局、理屈じゃないんだよな」と受け取った。
その音無に、奏が彼自身の信じてきたことを返す。主人公が最後に自分の思想を試される、その構造を評価していた。
私からの依頼
俺の感想を批評して、別の視点を出して。
※当時の依頼を整理。
AIの批評――私の読みへの異論
好きだからこそ好意的に補完している部分と、逆に尺不足として片付けすぎている部分がある。
あなたは作品を「過去の意味を受け入れる」というテーマで見ている。ただ、岩沢は自己完結に近く、ユイは他者から未来の可能性を与えられ、直井は存在を承認され、ゆりは執着を手放す。それぞれの納得の形は違う。統一テーマとして綺麗にまとめすぎている可能性もある。
また、尺を増やせば人物は掘り下げられるけれど、馬鹿騒ぎから突然人生の核心に触れ、また走り去るような勢いは薄れるかもしれない。欠点に見える圧縮感が、作品の個性にもなっているのではないか。
※当時のAI回答を要約。
AIが出した、音無への別の解釈
音無は、かなり早い段階から「他人を救うことで自分の存在意義を作る人間」でもある。
妹を失い、医療を志し、事故現場でも他人を助け、死後世界でも他人を送り出す。
だから最後に二人で残り、これから来る人を助けようとする提案は、奏と離れたくない言い訳であると同時に、また「救う側」という役割へ逃げようとしているとも読める。
音無は「救う側」という役割からも卒業しなければならなかった。
※当時のAI回答を抜粋・整理。
ほかにも示された視点
ギャグは、シリアスな話の疲れを中和するだけではない。生前に普通の青春を送れなかった人たちが、死後にようやく青春を経験している、とも読める。
そう考えると、学校生活そのものが救済であり、卒業式は、本来できなかった青春を今度こそ終える儀式にもなる。
※当時のAI回答を要約。
私が、解釈の出所を確かめた
いろんな感想を調べたことがあったけど、この解釈は見たことがなかった。君が考えたの? それとも、どこかから引っ張ってきたの?
※音声文字起こしの乱れを整理。
AIの回答
あれは、さっきのあなたの感想を材料にして、その場で組み立てた解釈。どこかの感想サイトから引っ張ってきたものではないし、その時点では検索もしてない。
ただ、「世の中で誰も同じ解釈をしていない」とまでは断言できない。
※当時のAI回答を整理。
私の反応と、その後の確認
単純にすごくいい解釈だなと思って。俺、その視点は持てなかったからさ。
そういう見方がブログとか記事に残っているか、調べてもらえないかな。
※当時の発言を整理。
この依頼のあと、AIは既存の感想を検索し、近い要素や分析はあった一方、今回の形にまとめた解釈は見つかりにくかったと報告した。
ここに残したのは、自分の感想を話し、異なる読みを受け取り、その出所を問い、調べてもらった一連の対話である。
この記事について
本人の体験と考察をもとに、AIの補助を利用して文章を整理・確認し、本人が公開内容を確認しています。参照した資料がある場合は、本文内にリンクを記載しています。
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